パートナーはいますか?
多くの人は若い頃なんて四六時中色恋沙汰について考えたり喋ったりしています。表に出す出さないは別にしてもだいたいそうです。
私も学生時代はそんなんばっかりでした。友達との話題もそれ系がいちばん盛り上がります。学業と部活のラグビーが軸で、音楽はずっとやりたくてやれなくて・・・みたいな状態でも、やっぱり頭の中の大部分は自分や仲間の色恋沙汰です。
当時そんなんで一喜一憂していたなか、ぼんやりと考えていたことがあります。
「選ぶこと」と「選ばないこと」
パートナー選びは、『選ぶこと』と『選ばないこと』がセットです。
私は大学生の頃、バイト先が同じだった女の子に通算3回告白して3回フラれました。向こうには彼氏がいたようです。その子は彼氏を選び続け、私を選びませんでした。
まぁ、それ自体はとってもメンタルにきた苦い思い出ではありますが、青春時代なんてそんなものでしょう。それより、逆のことも考えました。
「私が誰かを選ぶということは、他の誰かは選ばれない・・・?」
私が誰かに想いを寄せるのと同じように、私に想いを寄せてくれた人もいます。でも私はその人を選びませんでした(選べませんでした)。嫌いな訳ではなかったと思います。でもその人をパートナーとして選んでしまうと、私が想いを寄せる人は選べなくなる・・・そう、思いました。二股にチャレンジなんて出来そうにもありませんでした。私は、自分が想いを寄せる人のことを考える一方で、その選択はその人以外の人を選ばない、ということについて考えていました。
あなたは何を選びますか?
これはパートナーだけに限った話ではありません。
高校や大学を受験するとき、どこを受けるか散々考えますよね?行きたいところ全部行くなんて無理ですよね?
今、世の中には面白いもの、素敵なもの、ワクワクするものが溢れています。アニメなんてすごい数放送されています。ゲームも無料で遊べるものだけでも恐ろしい数があります。音楽だって・・・
自分が選ぶということは、自分の時間をそれに差し出すということになります。時間は人生そのものです。それを選ぶと、当然他のものは選ばない、という選択をすることになります。意識しているかしていないかの違いで、私たちは日々、何かを選ぶと同時に、何かを選ばず切り捨てていっています。
まとめ
何かを選ぶということは、他の何かを選ばないということと同義です。
パートナーとして誰かを選べば、他の誰かを選ばない、ということになります。
失うものに目を向けると、本当に得るべきものが正しく見えなくなる、のかもしれません。
手放す、切り捨てる、選ばないというのは一見ネガティブにも思えますが、それは私たちが普段している「選択する」という行為の裏返しであって、決して悪いことではないのではないでしょうか。
何かを手放すのが惜しいと思った時は、失うものより、それによって得られるものに目を向けてみては、いかがでしょうか。
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