『ゴマスリはNG!』学生でも大人と対等に話すべき理由

コミュニケーション

目上の人に媚びをうる時代は終わった

終身雇用や年功序列が崩壊していると言われる今の時代において、学生や若い人が目上の人に媚を売ることでうまく立ち回ることはできません。ゴマを擦ったところで、それをよしとする大人からはいいように扱われるだけです。逆に、ゴマを擦って自分を売ろうとする人を選ぶような大人は、その人の本質的な価値を見れないと表明しているようなものです。本当の意味で、年齢や立場の違いはあれど、人同士が対等に関わり合うのが時代の必然となってきています。

年齢に関係なく人として対等になるべき理由

多くの情報が出回り、誰もが情報発信できる今、人と人を結びつけるのは本質的な価値であり、上辺の付き合いではないからです。なので、例え「学生と大人」と言う関係性であっても、お互いが求めるものが一致したり、互いの価値観から得られるものがある場合のみコミュニケーションが成り立ちます。年上の人が若者から搾取することはできなくなっていくでしょう。

ただし、学生などの若い人にとっても、また年上の大人にとっても注意すべき点があります。

注意1:立場はきちんとわきまえる

人としては対等に話すべきですが、立場はわきまえなければいけません。

先生と学生であれば、それぞれの役割と立場があります。会社の上司と部下もそうです。社会の中での立場的には対等でない場合が多いので、そこで言えること、失礼に当たることは当然あります。人として対等であることと混同しないよう、注意が必要です。

注意2:そもそも人として失礼な態度は論外

人として対等に話すからと言って、見下したり、マウントをとったり、罵ったり、そういったコミュニケーションは論外です。そういう人は相手にされなくなるのが普通で、もし若くて知識がなければ、経験と知識のある大人はそれを諭してあげるべきです。相手が何によって不快に感じるかは千差万別ですが、相手を傷つけたりしない言葉や態度を選ぶマインドは、常に忘れてはいけません。

まとめ

日本が昔と今で大きく違うのは、人口が増え続けていたか、減り続けているかです。人が減り続けている中で必要とされるのは、能力や生産性の高い価値ある人材です。そこに年齢はもはや関係ありません。

価値がある若者が、年上と対等に関われないようでは、その人自身が損をします。逆に年上の人でも、歳が若いからという理由だけでマウントをとってしまうと、一緒に関わって何かをする時にその人の価値を存分に活かしきれません。

「年上を敬う」という考え方自体は大事にしていきたいですが、それが実際は年上の人がマウントをとるための口実にはなっていないでしょうか。これは若者も、年上の人も、同じように考えていくべきことだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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