都立高校ラグビー部のキャプテン
リーマンショック前くらいの時代、高校生はみんなガラケーを持っていて、キャリアのメールで連絡取り合っていました。音楽はiPodで聞き、動画はビデオカメラ、YouTubeや動画メディアなども全然一般的ではなかったので、テレビやDVDを見ていました。ライブドア事件があったり、荒川選手が五輪で金メダルを取ったり、北朝鮮のミサイルが問題になったり、そんな時代でした。
当時、都立高校ラグビー部のキャプテンをやっていたその男の子は、とにかくラグビーに一生懸命、チームが勝つために日々全力を費やしていましたが、振り返れば失敗だったことも多かったみたいです。
キャプテンがやってしまった失敗
自分が完璧でないといけないと思っていた
ラグビーは15人でするスポーツです。チームを引っ張るキャプテンという立場上、誰よりも強く、上手で、ミスがないような完璧な選手でなければいけないと思っていました。
もちろん、たくさん練習しました。朝は授業前に学校近くをジョギング、昼休みは食事の時間も惜しいので、早弁してウェイトトレーニング、午後の全体練習も必死です。帰ってからは、授業の予習復習や宿題そっちのけでラグビーの試合を見ていました。電車通勤の時間はラグビー関連の本をひたすら読んでいました。
彼は、とても頑張っていたようですが、完璧な選手ではありませんでした。そもそも、完璧な選手になんてなれるワケがありません。頑張ることは素晴らしいことですが、その努力はチームが勝つためのものではなく、自分の弱さを隠すための、一種の甘えでもあったことを、後になって彼は知りました。
自分の価値観が常に正しいと思っていた
「自分の思う通りに、残りの14人が動いてくれれば、花園へ行ける」
彼はこう考えていたようです。多くのチームメイトが高校からラグビーを始める中、誰よりラグビーの競技歴が長く(小学5年からやっていました)、ひたすらラグビーに打ち込んでいる自負のあった彼だからこそ、そう思うのも無理はありません。
自分に厳しいのと同じくらい、チームメイトにも厳しかったと思います。それは、相手に信頼を置いての厳しさではなく、常に疑いも含んだ厳しさだったようです。それが非常に傲慢な考えだということを、後になって彼は知りました。
ラグビーが人生の全てだと思っていた
自分を洗脳するかのように、来る日も来る日もラグビーのことばかり考えていました。遊びの誘いは断り、文化祭のクラスの出し物も全く協力せず、勉強も落ちこぼれない程度にサボり続け・・・。高校三年生の秋、最後の大会で上位にいけずあっさり負けてしまい、本当にスッカラカンになりました。
もし彼が、心底ラグビーに人生を捧げるつもりなら、そこでスッカラカンにはならないはずです。大学、社会人とその先も競技のステージはあるし、高校のチームが結果を残せなくても、個人はそのさきへ進むことができるからです。でも彼は、本心はそうではなかったことを、実は知っていました。他にもやりたいこと、ワクワクすること、大切にしたい友達、経験したいことがたくさんありました。その時に合理的に判断する、なんてとても出来やしなかったかもしれません。でも、自分の心には嘘をつけないことを、あとで知ることになりました。
まとめ
高校生で、40人ほどのチームのリーダーを務める経験というのは、大変貴重だと思います。でも、そこはきっと間違いだらけでしょう。大人ですら、常に完璧で間違ったことをしないリーダーなんて一人もいません。彼はその後、大学でもラグビーを続けましたが、自分の心と真剣に向き合い、ラグビーのプレイヤーとしての区切りをつけ、心からやりたいと思うことを見つけて、楽しい毎日を過ごしていると思います。音楽を作ったり、ギターの弾き語りをしたり、好きなアニメを楽しんだり、そんな毎日で、誰かに喜んでもらえることができたら幸せだなと、思っていることでしょう。
長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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