『質』の差の原因
物事の質はどのように決まるのでしょうか?
絵や文学や音楽、文章や話し方など、私たちの周りには創造物で溢れていますし、私たちは生きている以上何かしらを産み出し続けます。それは芸術家や文筆家などに限らず、コミュニケーションをとって人と関わっている以上、ある意味で全ての人がクリエイターです。
素晴らしい絵や物語、音楽や文章は人を惹きつけます。でもそれを生み出せるのは一部の人だし、そういった人でも当然駄作を作ります。
では、その創造物の質の差を生むのは何か?
これを私は「小さな違い」と、その積み重ねだと捉えています。
小さな違い
文章を書くとき、句読点や語尾などは全体から見れば小さなことです。
私は、美しい夕日を見た。
私は美しい夕日を見たのだ。
上の二つの文は、句読点と語尾が一箇所ずつ違うだけです。でも読んでみると印象が随分と違うのがわかります。
このように、文一つとっても小さな違いはいくらでもつけることができます。
音楽もまさにそうです。
一曲の中の、あるメロディーの中で、一音だけでもリズムが違ったり、音程が半音違ったりすると、全体の印象にまで影響を与えることがあります。
コードをつけるときも、シンプルなダイアトニックの四和音にするか、ナチュラルテンションを一音追加するか、でも印象が変わります。
さらに音楽制作の現場では、たくさんのオーディオデータ(マルチトラック)を1つの曲データにするために、様々なエフェクト処理が施されます。イコライザーやコンプレッサーなどを駆使して行う職人技は、素人では到底判断のつかない繊細な音の違いをコントロールします。言うまでもなく、その積み重ねが最終的な音源の聞こえ方に大きな影響を与えます。
まとめ
私の好きな言葉に、
「センスは量」
というものがあります。
「生まれ持った才能」とかのことは、定量的に計れるものではないのでよくわかりません。ですが少なくとも、ある分野における感覚を養うために、絶対量が必要なのは間違いないと思っています。
「小さな違い」をコントロールできる鍵は、ここにあると思っています。
文筆家は多くの作品を書いて、一言一句の言葉選びに神経を尖らせるのでしょう。お笑い芸人は、数えきれない場数を踏んでお客さんとの空気感などを鋭く察知し、自身の表現を磨くのでしょう。音楽家は数えきれない曲や演奏を聴き、自ら演奏し、創作し、その感覚を養っていくのでしょう。
そして人々は皆、毎日のコミュニケーションを、様々な人と幾度となく繰り返し、言葉や話し方や表情や仕草の小さな違いをコントロールしていくことで、より良い人間関係を築いていけるのではないでしょうか。きっとあなたの周りのスゴい人って、その小さな違いを見つけられているんだと思います。私も尊敬する多くの人のそういった部分を見習いたいと思います。
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