100点の答えを出すことには、もう意味がない

学校教育

100点

私たちは学校教育で、定期的に試験を受けてきました。

入試などを経験した人は、そこでも点数による評価がされます。

そしてそこで目指すべきものはなんだったのでしょうか?

23×17の答えは?

学校教育では、ひっ算でもして正確に答える必要があります。

正確に答えが一致していなければ、バツをつけられます。

しかし現実はどうでしょう?

もしこの問題をとくシーンが現れたら、自分の頭で考えて、完璧な正解を求めるべきでしょうか?

きっと目的は、この計算結果の数字を使って、別の問題を解決することです。

ならば、この計算自体は、素早く正確な答えさえわかればいい。

結果、スマホの電卓を叩けば1発だし、「OKグーグル?」とか「ヘイ、shiri!」とかで、

「にじゅうさん かける じゅうなな の こたえは?」

と、聞けば、他の作業をしながら答えがわかってしまいます。

必要なのは、問題を見つける力

世の中には常に、何かしらの問題が生まれます。

それを解決することによって、人の悩みや困ったことが解消されます。

私たちは常に、そうしたことを見つけて解決することによって、世の中に付加価値を生むことができます。

掛け算とかは、道具にすぎません。

うまく使いこなせれば、それで十分です。

まとめ

私たち日本人の多くは、いまだに学校教育の評価基準に縛られています。

しかし、それが本質的にはあまり意味をなさないことも、多くの人が気づき始めています。

短期的には、試験でいい点を取ったり、いい学校へ進学することが、その人の評価に繋がることは否めません。しかし長い人生、多くの人と関わっていく中で、本当に自分が大切にすべき評価軸というものを、改めて見直してみるべきではないでしょうか。

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