オマージュ(パクり)は文化の継承

研究

オマージュ

以前にも、オマージュ(パクリ)について記事を投稿しました。

誤解を恐れずに言うと、今世に出ている音楽のほとんどは既存のものを何かしらパクって作っています。

これだけ情報網が発達して、多くの人が創作をするような時代なので、オマージュやパクリと言ったものは挙げればキリがありませんが、それをどう上手く(クオリティ高く)扱うかがキモだと、私は考えています。

今回はさらに一歩踏み込んで、それはむしろ「文化の継承」としての意味もある、と言うお話です。

文化の継承

こと音楽において、オマージュが文化の継承となるのは理由があります

音楽はフォーマットがある程度決まっている

今の音楽は、だいたいピアノに並んでいる音を基準として作っています。ドとド♯の間の音程も実際にはあるのですが、それは部分的に用いることがあったとしても、基準の音の並びからは外れます。

さらに、だいたいのポピュラーの曲は長さが4分ほどで、始まりの部分と、盛り上がる部分、しめる部分というように出来ています。

このように、全く自由に音を並べるのではなく、ある程度の型(フォーマット)に沿って作った方が、多くの人が聴いて心地よく感じることがわかっています。一部で実験的な音楽を作られている方も、もちろんいらっしゃいますが、今世に出ている多くの音楽はこのフォーマットに則って作られています。

ですので、過去の優れた楽曲から、音の並びや、曲の構成など、良い部分を取り入れて作品を作っていくのは必然の流れになります。その偉大な発見を、ツールとして使っていくことは、文化として育まれた人類の財産を継承しているとも言えます。

聴き手はこれまでの音楽の全てを知っている訳では無い

あからさまなパクリは盗作です。オリジナリティもへったくれも無いので、作り手は全力で避けなければいけません。

一方で、聴き手はその元ネタ(オリジナル)を必ずしも知っているとは限りません。今も世の中には新しい楽曲が次々と生み出されています。そして、作り手と聴き手では、聴いてきた(知っている)曲が全く同じ、と言うことはほぼあり得ません。

私も音楽をちゃんと聴き始めた小学生〜中学生くらいの頃は、過去の名曲なんてそれほど知っている訳ではありませんでした。なので、当時耳にする曲は全てとても新鮮に聴こえます。

例えば、氣志團のOne night carnivalの「学校や家には帰りたく無い」のセリフだったり、B’zのBrowin’のイントロだったり、KANの愛は勝つの曲調だったり、あれらは1988年生まれの私にとって、間違いなく初めて聴く『オリジナル』でした。時を経て、元ネタが尾崎豊だったり、Grand Funk Railroadだったり、Billy Joelだったりしたのを知っても、『パクった!ずるい!』とは全く思わないし、うまく自分たちの曲に取り入れたな、と感心しています。

まとめ

私もクリエイターの端くれですので、まずこれまでの星の数ほどの楽曲を世に出してきた全ての人に敬意を表しています。日本や世界のトップクリエイターにも、身近でまだそこまで有名でなくてもいい作品を作り出す人、全て尊敬しています。

人の心を動かす音は、普遍的なものであって、それは文化として継承していくことが人類の財産ではないでしょうか?パクリがいけないのであれば、私たちは過去の曲を繰り返し聴き続けるしかありません。でも時代は移り変わります。その時代の、その人たちが持つ空気感や、テクノロジーによって生み出されるサウンドは、色合いや手触りや匂いや温度など、数値化しきれない情報が詰まっています。

聴き手も、作り手も、広くおおらかに音楽と向き合うことによって、より音楽と共にある楽しい日々を過ごせるのかな、と思います。

そして私は、単に消費されるだけでなく、後世にも残るような、作品や演奏を残して行けるように励んで参ります!

【本日のオススメ本】

アイデアのつくり方 (日本語)

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