殻を破る
今回は少しマッチョな(漢くさい)話題です。
およそ三年前にこんなツイートをしました。
私の周りには何かにチャレンジしている仲間が大勢います。
自分が頑張るのはもちろんですが、そんな仲間もいつも応援したいと思っています。
でも、一回り大きい自分になろうとするのはそんなに簡単なことではありません。
そこには見えない硬い殻が、自分を包み込んでいるからです。
根性を見せる
根性論は何かと敬遠されるご時世です。でも敬遠されるべきは間違った根性論で、根性自体は大事だと私は考えています。
間違った根性論とは何か?
私は、
間違った根性論とは、思考停止状態
だと考えています。
スポーツ選手のトレーニングとして、科学的に効果がないことが実証されている「うさぎ跳び」など顕著な例です。単純にキツイことをやれば力がつく、と言う短絡的な思考で止まってしまっていると、「根性があればなんでもできる!」といった間違った根性論がまかり通ってしまいます。
一方、私は根性も時には必要だと考えています。
それは、
根性=目標に向けて自分を変える『勇気』
だと言い換えられるものだと思います。
根性の辞書的な意味としては、
- その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質。「根性の腐った奴」「島国根性」「やじ馬根性」
- 物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力。「根性のある人」「見上げた根性の持ち主」
となっています。2番の意味が、理不尽なことの免罪符的なニュアンスで使われる事の多い根性ですが、本質は違います。
何かにチャレンジし、新しい自分になることは、自分を変えなければいけません。
しかし人間には、「ホメオスタシス効果」といって、強烈に現状を維持しようとする働きが本能的に備わっています。
例えばダイエットなら、毎日少しずつ運動する習慣をつけるとか、甘いものや脂っこいものを控えるとか、そういった自分を変えることってなかなか難しいと思います。そこには様々な方法論があり、人それぞれ適切な方法が違います。無論、根性だけでどうにかなるものではありませんが、自分を変えるという意味では根性も必要です!
要は自分を変えるということがメチャメチャ大変なことなのですが、それをできる勇気を持つと、自分の殻を破れる、というのが私の考えです。
根性論を否定するダルビッシュ有さん
ダルビッシュさんは日本とアメリカの両方のスポーツ文化をよくご存知だから、その比較ができると思います。日本はダメでアメリカが良い、という短絡的な考えをしてはいけませんが、「目的:スポーツで結果を出す」に対して、「手段:どんなトレーニングをするか」を極めてドライに(合理的に)考えていらっしゃると思います。
私も小五からラグビー三昧の青春時代を過ごし、国内で様々な指導者からの指導を受けてきました。種目は違ど、日本のスポーツ界の旧い考え方を持った人たちとはたくさん接してきました。
全員とは言いませんが、多くの人が、思考停止していたと思います。
そして威張ります。
彼らが威張っていた理由が、今ならわかります。
「彼らは、自分が無知であることが怖かった。だから、それを悟られたくなかった。」
まとめ
今のままでいいと思っている人はそれでいいんです。
でも自分を変えたいと思っている人は、変え方を知らなければいけません。
いっぱい失敗すると思います。
10回戦ったら、9回負けて、1回の勝ちを取りにいかなければいけない時もあるでしょう。苦しいし、しんどいです。
そんな自分を変えるのには、根性が全てではないです。
しかし、変えるために根性も必要なものだと思います。
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