一人一人が意識して運動しなければいけない時代
健康に生きていくために定期的な運動が重要なことは言うまでもありません。
さらに運動の習慣は脳にも良い影響があることが知られています。
いま、多くの人が『普段無駄に多く動いていた』ことに気づいています。リモートワークでも仕事ができたり、買い物に行かなくても通販で物を買えたりする、というのが常識になってきています。
その『無駄に多く動いていた』ところに助けられて、現代の社会人はある程度の運動量が確保できていたかもしれませんが、その無駄がなくなる分、そのままだと多くの人は運動不足になります。
多くの人にとって運動が億劫である理由
いま学校に通っていて、必修の授業として体育がある方にとっては、何も回答をお示しすることができません。
これまで学校教育で体育を経験してきて、社会人になってから運動が習慣化できない方へ、その理由について私なりの見解と、運動を習慣化するための具体案をご説明させていただきます。
学校教育の体育の成果とその理由
私たちが受けてきた学校教育の体育は、何を目指して行われてきたのでしょうか?
子供たちをみんなスポーツ選手にさせるためでしょうか?あるいはスポーツ選手に慣れる子供となれない子供をふるいにかける試験期間だったのでしょうか?
就学する子供や学生全員に対して普遍的に行う体育の授業であるならば、運動を通じて、自身の体や健康についての知識を得て、運動能力を伸ばす方法にチャレンジし、生涯を通じて身体的な健康を得る、そのノウハウを習得することが目的のはずです。
実際はどうだったでしょう?
結果、体育の授業は、運動ができる子たちの息抜きの場であり、優越感に浸れる場所であり、運動が苦手な子にとっては、苦痛で、劣等感を抱く場でしかなかったという状況が大半だと思います。
体育の授業が、そういう構造になっているから仕方ない部分もあります。体育祭などでクラスごとの戦力差を出さないようにするため、各クラスには運動のできる子と苦手な子をなるべくバランスよく配置するようにします。でも体育の授業はその子供たちが同じ空間で同じことをします。持久走をやらせれば無双するスポーツマンタイプと周回遅れになるインドアタイプが同じ場所にいます。サッカーをやらせればフォワードでガンガンシュートうつ子と自チームのゴール前で壁になることしかできない子が同じ場所にいます。こんなイビツなことを平然とやらせているのが学校の体育の授業です。
そうして、運動ができる一部の子供以外は、「もう運動なんてしたくない」と思って学校生活を終えます。それが健康に大事とはわかっていても、その人にって「運動=辛く惨めな行い」になってしまったら、意思力だけでそれを継続するのは相当困難です。
運動にネガティブなイメージを持ったまま大人になってしまったら…
こうしていま、世の中には多くの「運動嫌い」な大人がいます。
残念ながら、小中学生の頃の記憶を消すことはできません。
しかし、大人になると状況は変わります。
気持ちをリセットすることも、自分の行動次第で変えることが可能です。
まずは、一人で運動をしてみてください。
ジョギングはどんなにゆっくりでも大丈夫です。
人が少ない場所や時間帯を選んで全然OKです。
自分と人とを比較をしないでください。
SNSへの投稿もダメです。
運動すること、体を動かすことは、本来は気持ちのいいことです。
さらに、運動を続けていくと、できることが増えてきます。
少しずつ長距離を走れるようになります。
少しずつ、速く走れるようになります。
そうやって、自分の成長にフォーカスすると、経験値を積んでレベルアップしていく自分を観察するのが楽しくなります。
結論としては、このブログで再三述べている、人との比較をやめて、自分の成長にフォーカスするということが、自分の健康のために運動を習慣化させる方法だと言えます。
まとめ:体育の授業は過去のこと
私は多くの日本人が、体育の授業にネガティブなイメージを持ったまま大人になっていると確信しています。
今や学校教育は、そもそもがかなり時代遅れですが、その中でも体育は群を抜いて非生産的なままだと思っています。
体育の授業のことは、一般の人間にはそうそう変えることはできません。
ですが、今日からの自分の行動は変えることができます。
辛く、惨めな運動は、する必要がありません。
まずは、少しだけでもいいので、気持ちを変えて初めてみていただけたら幸いです。
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