【もぅマジ無理】「空気を読め」という同調圧力の正当化

メンタル

場の空気

よく使われる「その場の空気」って、いったい何なんでしょうか?

窒素とか酸素とか、理科や化学で出てくるアレ?ではなさそうです。

そして「空気を読め」という非難や忠告、あれなんか、嫌じゃないですか?

私はよく言われる側でした。言った記憶はほとんどありません。

空気は読んだ方がいいのでしょうか?空気を読めと言われたら反省すべきでしょうか?

同調圧力

私は、「空気を読め」という事を誰かがいう場合、往々にしてそれは同調圧力をかけている(それが正しいように)のだと思っています。

同調圧力とは、下記のように説明されています。

同調圧力(どうちょうあつりょく 英: Peer pressure)とは、地域共同体や職場などある特定のピアグループ(英: Peer group )において意思決定、合意形成を行う際に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に合わせるように誘導することを指す。(Wikipediaより)

まさに、冒頭で提示したシチュエーションの「空気」とは、「特定のグループの多数意見」であり、その人たちの意思が元となる目線、言葉、行動、振る舞いなどが「空気」と言えるのではないでしょうか。

つまり、「空気読め」を言い換えるならば、「多数派の意見を察してそれに従え」となります。これはいささか乱暴ですし、少数派というだけで他の個人の自由な考えを否定するのは理不尽だと言えます。

ケース・バイ・ケース

時には、多数に従わないといけないシーンもあるでしょう。

例えばお葬式に参加した時に、「俺はしんみりしてお別れしない方がいいと思ってる!亡くなったあの人もそんな事望んでないはずだ!今まで生きてくれたことに感謝しよう!さぁ明るく乾杯しようぜ!!」みたいな主義主張を持った人がいたとします。

その考えを持つこと自体は全然悪いことではないと思うのですが、お葬式でそれをやると悲しみにくれているその場の多くの人の神経を逆撫でする恐れがあります。なのでこの場合は、場の空気を読んだ方がいいでしょう。

まとめ

「空気を読め」という言葉は、同調圧力を正当化して少数派に与えている場合があると思います。

もしあなたが、そういうシチュエーションでそう言われたなら、自分が悪いような思いにかられる必要はありません。人との考え方が違うのは当然で、それがたまたま人数的に少数派であって、多数派の声が大きいだけです。

しかもそれは特定のグループ内の話なので、そこを抜ければ少数派と多数派が入れ替わる可能性だってあります。空気を読まないのが絶対的な悪ではないです。他人を尊重しつつも、自分の考え方や価値観を最優先で守ってはいかがでしょうか。

【本日のオススメ本】

群衆心理

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