【※ネタバレあり】映画マトリックス三部作を2020年に観た感想

AI

映画マトリックス三部作を観ました

ハリウッドのSF映画の名作「マトリックス」の第1作目が公開されたのが1999年。

もう20年以上も前になってしまいます。

そこから続編が「リローデッド」「レボリューションズ」と二作公開され、三部作として映画は完結しています。

20年経った今、改めて観ることによってとても気づきが多かったので、いくつかのポイントをピックアップします。

※なお、本記事にはネタバレを含んでおりますので、未視聴の方はご了承ください。

見所と感想

公開当時は小学生〜中学生だったので、「弾避けるのカッケー!」とか「機械との戦争コエー!」くらいの感想しか覚えていませんでした。それだけでも結構見応えのあるSFアクション大作ではありますが、ストーリーやキャラ設定と、そこから読み取れるメッセージにまで目を向けると、この2020年に生きている自分にとって考えさせられるテーマが多いな、と感じました。

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そもそもキリスト教やユダヤ教などの前提知識がないと理解しにくい作品設定

登場人物やプログラムなどの名前は、かなりキリスト教やユダヤ教で出てくる固有名詞がフィーチャーされています。「トリニティー=三位一体」「ザイオン=シオン(聖地エルサレムの地名)」「オラクル=預言者」などです。私もある程度言葉は知っていますが、そこまで詳しいわけではないので一言聞いてパッとイメージできないのが本音です。

作品のテーマやストーリーは、このキリスト教およびユダヤ教の思想を知っていることが前提で作られているようですので、我々日本人にとっては馴染みにくいものですが、まずは中田敦彦さんの動画などで雰囲気だけでも掴んでおくといいかもしれません。

その存在の目的について、人間とプログラムで対比がされている

作品の軸は人間対意思を持ったマシン(プログラム)ですが、

ここで一つの疑問が浮かびます。

私たちの生きる目的とはなんでしょうか?

レボリューションズの最後のネオvsエージェントスミスのシーンで、スミスが印象的なセリフをいいます。

スミス『わかったよ、君たち人間の目的は死ぬことなんだね』

これは過激で残酷な表現ですが、全否定することができないんです。「始まりがあるものには終わりがある」というセリフで象徴されるように、私たちは生まれた時点でいずれ死ぬことを運命づけられています。つまり、死に向かって歩き続けてると言えます。

プログラムは、役目を終えたり役目を果たせなくなったら削除されます。彼らは存在する目的が定まっているからです。

私たち人間は、どんな目的でこの世に存在しているんでしょうか。お金持ちになるため?有名になるため?人々の暮らしを豊かにするため?貧しい人たちに手を差し伸べて平等な社会を実現するため?別にそれって、”してもいいけど、しなくてもいい”ですよね?だから、内的な(自分で決められる)目的なんてものは好きに選べます。むしろ他から決められるものではありません。一方、外的な目的(他から定められる目的)は、何もなく、寿命が来たら死ぬよう定められているだけです。

このテーマを私なりに考えると、「人は生きている間に何をするか、自分で選択できる」というように捉えました。めちゃくちゃ当たり前すぎることですが、多くの人ってこれやってないと思うんです。環境や周囲の人間関係から、どのように生きるかを誘導されているように思います。なぜなら、多くの人が「不平や不満を言う」からです。例えば、山と海どちらに遊びにいくか、と言う選択で、山を選んだのに『虫が多くて不快だ!フザケんな!!』なんて怒って文句を言う人はちょっとヘンですよね?自分でそれを選んだんだから文句が出るはずがありません。でも人生単位ではそれをやっている人が結構多い。自分が選んだ会社、自分が選んだ恋人や結婚相手、自分が選んだ友達、なのに文句を言ったりする。それは結局、自分で選んでないからだと思います。長くなりましたが、「自分で選択する」ということの重要性と、それが難しいことで現実ではなかなかできていないことを教えてくれているのではないでしょうか。

私たちは誰も、「マトリックス」がフィクションだと証明できない

今このブログを読んでいただいているあなたが、手にしているスマホやパソコン、周りにいる人などが、全て実在するものだということは、果たして証明できるでしょうか

仮に、それも全て機械に培養されている実体の私たちが見せられている虚構だとしても、それが絶対に架空の話だとは、誰も証明できないはずです。

私の大好きなアニメのソードアート・オンライン(第2期一話)で、こんなやりとりがありました。

アスナ「現実世界と仮想世界の違いって、何なのかな・・・」

キリト「情報量の大小だけさ」

映画マトリックスの時代では、現実世界と仮想世界の情報量の差が無くなっている状態になっています。今後まったく同じ状況が訪れるとは言い切れないと思いますが、その差は限りなく縮まっていくでしょう。私たちが生きている世界とは、本質的にそのようなものです。自分が感じ取っているものが世界そのものです。私たち生きている人間の数だけ、オリジナルの世界があるとも言い換えられるし、世界とは結局そのようなものなのでしょう。

まとめ:哲学や人生論まで踏み込むとさらにオモシロイ映画

派手なアクション、仮想現実、人間対機械など、SFとしての魅力はもちろんですが、ストーリーから哲学や人生論まで踏み込んで考えると、新たな発見のあるオモシロイ映画だと再認識することができました。

家にいることが多い時期は、ぜひゆっくり映画でも観てはいかがでしょうか?最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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